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100日たって [愚痴]

日本は非常におかしくなってしまい、さらにおかしな状況がしばらく続きそうです。いよいよ、早く金を貯めて日本を出て行きたいなぁと思っています。まだ全然な状況なんですけどね。前のマンションの処分でマイナスになって出費が痛いし。今の年令の経済状況じゃないよ、本当。いや、多重債務とか言うわけじゃないけどね。なってたまるか。

新政権発足 [愚痴]

というところで、総選挙後(いや、その前からか)ずっとフォローしていますが、正直、この先に出来るであろう日本には痛くないなぁ、という気持ちがずっと強くなってきました。だって、どうよく考えても、高福祉高負担な社会だろうし、一度その方向で使ってしまったぬるま湯からは、そう簡単に抜けられるとは思われません。ついでに円の暴落まで見えている気がするので、早いとこなんかしなきゃいかんかなというのも考えているのですが、いかんせん先立つものがない状況です。うーむ。

とりあえず、今ほしいもの [Web]

GoogleReaderのTwitter版。

自分で作ればいいんだよな、本当は。

仕切り直します [ごあいさつ]

 なんか、ちゃんとした文章を書こうとすると、なかなか筆が進まずに放置状態が続いてしまっていました。鬱もかなり良くなってきて、いつまで持つかと思っていた勤務も、もう少しは続けられそうです。

 というわけで、もうちょい気軽に、退職後のことについて考えていこうかと思っています。



居場所を探す(1) [住]

 今、部屋を2つもっている。
 元々、保証人の問題で賃貸をあきらめざるを得なくなったとき、23区内に新築の1LDKを、ある程度は終の棲家にするつもりで買ったものだ。そのときに、今後は物欲を抑えて、このパッケージの中で収まるようにするつもりでいた。当初はうまくいっていたのだが、ある時を境にうまくいかなくなってしまった。

 それまで、実家で暮らしていた母親を、諸般の事情で引き受けなければならなくなった。それまでは団地とはいえ3DKに独りで住んでいたのだ。いくら荷物を整理したと行っても、人一人が普通に生活しようとしたらそれなりに荷物はある。おまけに、こちらもようやっと!LDKに納めていたような状況だ。結果はあきらかで、部屋の中は荷物だらけになった。正直、これはかなり参った。結局、母親は実家に近い、といってもそれなりの田舎の老人ホームに行くことになったのだが、そのときにまたかなりの荷物を置いていくことになった。
 結局、飽和状態の部屋の中で生活するという状況が続いた。

 ここで一念発起しててきぱき片付けていたらまだましだったのだろうが、ちょうどその頃から鬱をこじらせて、休職することになってしまったくらいにひどくなってしまった。部屋の片付けどころか、身辺について気を回す余裕がなくなってしまった。見切りで復職したものの、どうも完治したというわけではなく、おまけに職場が結構忙しいところであったため、うちに帰ってさて、という気になかなかなれない。ストレス解消に買い込むものも増えてきて、しかも片付けられないため、人を呼ぶどころか、立ち入りさえかなり厳しい、ゴミだめのような部屋になってしまっている、というのが現状だ。

 そんな折、母親から連絡が入り、また一緒に暮らせないかという話が舞い込んできた。結論から言うと、その頃から軽い認知症にかかり始めており、昼間、家を空けるような環境にとても置いておくわけにはいかないからそのまま老人ホームにいた方がいいと言うことだったのだが、話が来た頃には、とてもそんなことは判らなかった。……とにかく、ある程度広い部屋を確保しないと、今度は生活すら成り立たなくなる。
 幸いというべきか、今度は、若干の頭金にする程度の蓄えがあった。とはいえ、マンションの買い換えは大変だし、手の届く物件は年式が古いので、かなりしっかり調査をしないといけないが、そんな時間も手間もかけられなかった。

 その時に、ふと思い出したのが、年上の友人が住んでいる団地のことだった。郊外にあるその団地は、元の実家と同じ年に建てられていた。それなら、友人宅と元の実家とで、およその勝手はわかる。それにその時点ですでに築37年だったので、価格も住み替えでなく買い増しできる位のものだった。そのくらいなので、会社提携の銀行が取り扱っているセカンドハウスローンでもあっさり通ってしまった。もちろん、両方の払いとなると大変ではあるが、それでも家庭持ちの4LDKとかのマンション持ちよりは可処分所得が多い分、なんとかなる。

 で、契約したあとで、母親の認知症のことを知る。まぁ、寝たきりとかになるならまた話は変わってくるかもしれないが、当面は、一人で2部屋を使えるということになってしまった。

(つづく)

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共通テーマ:住宅

残りの時間をどう使うか

 前々というか、さかのぼると就職が決まったときから、定年まで勤めることはないだろう、と思っていた。
 まず、社会的に適応できないのは、高校大学でよくわかっていたことで、今の勤め先でなく本当に9時始業の職場とかだったら、途中でとっくにドロップアウトしていたに違いない。それに、派閥政治のあるところだと(いや、今だってあるのかもしれないが)、そんなのにはとうてい対応できない。
 まぁ、よくもまぁ20年近くも勤められたものだと思う。

 が、そうばかりも言ってられなくなった。
 まず、半年近く、うつで長期休暇を取った。会社の制度で、休職にはいたらなかったが、それに近いところまでは行っていた。しかも、職場復帰も、半ば見切りだった。そのせいか、未だ完治にはいたっていない。当然、いわゆる昇進などにも響いている。まぁ、本人はどうでもいいと思っているのだが。
 それに、この先の展望を見ても、方向性は見えていないのだが、どのみちあまりいい方にいけるとは思われない。おまけに、勤め先の本業が、いわゆる構造不況に陥ってしまった。よその社に比べるとまだいい方なのだが、それにしてもあんまり明るい話ではない。
 その影響があるのか、あるいはここしばらく、世間を騒がせるようなことがあったせいか、なんというか、社内がとても窮屈に思えてきたのだ。まぁ、中、ではすまない規模の会社ではあるので、いろいろ小うるさいことがあって当然なのだが、その小うるささが増してきているように思える。

 そうこうしているうちに、この春もまた忙しくなり、鬱が悪化してきた。毎年のように、春先、社内の移動とアサインの変更がある度に、悪化する傾向があるのだが、今年は特に前任業務が終わらないのと新しい業務が乗っかってきたのとが重なって、けっこうな状況であった。

 いい加減、限界かもしれないな。
 何度かそう思った。

 幸い、周りの助けもあって何とか山を越えつつあるのだが、これまで書いてきたこととかをつらつらと考えたときに、1つの結論めいたものが出てきた。

 これはもう、定年までは持たないな。

 とてもあと20年弱、シニア雇用まで入れたら20年以上、ここまででなくても、働き続けられないだろうな。

 それと。
 嫌な話だが、父も、祖父も、50くらいで癌でなくなっている。子供の頃から、自分もそのくらいまでしか生きられないだろうという、何となくだがそんな思いがあった。幸い、今では癌も治る病気だし、父や祖父と違って喫煙の習慣もない。おまけに鬱のおかげで、酒ともしばらく無縁の生活を続けている。もっとも、食う方はどうにもならず、高血糖高血圧糖尿という見事なまでのメタボな状態ではある。

 そう考えたとき、50は大げさでも、60過ぎまで働いて、それから老後をゆっくり楽しむというのは、あまり現実味がないんである。

 ところが、振り返ってみると。
 結婚をしていないので身軽ではあるのだが、住宅ローンはばっちり、しかもなぜか2軒分のしかかっている。蓄えも、2軒目の頭金であらかた吐き出して、万一の時の貯金程度しか残っていない。 
 年金も就職してからしか払っていないので、25年は働かないといけない。
 手に職といっても、結局ものになるほどのものは手にしていない雑食型の仕事の仕方をしてきたので、会社を辞めて、職を渡り歩くという選択肢もまずない。

 というわけで。
 いかにこれから残された人生をうまく軟着陸して、楽しく過ごしていくか。
 そう。人生を楽しめずに終わってしまったら、もったいないじゃないか。(「この苦しみから逃れられないのなら、この苦しみを快楽に変えていくしかない」という花と蛇的な楽しみ方は却下だ)

 このブログのこれからは、このテーマについて、自分でいろいろ考えたり調べてみたりしたことを書きためていきたいと思う。
 いやー、しかし大変だなぁ(汗)

とりあえず、それから今まで [ごあいさつ]

その後、半年休職して、本格的な休職直前に復職。だましだましここまで来ている。
投与される薬もいろいろ変わり、現在は、鬱治療としてはアモキサンとゾロフト、抗不安剤としてソラナックスとリタリン、寝るためのお薬もたんともらっている。

仕事は、最初は様子を見ていたし、つい最近までは土日は完全に休養だったのだが、最近は日曜日にでることもあるようになってきた。一応、その分の代休はどこかで取っている。が、今の調子が薬、特にリタリンのおかげだというのがだんだん忘れられている様子。

この先どうなるコトやら。

あと、@niftyからの撤退は、ADSLのコネクティビティのみ残った状態となっている。今のマンションでもBフレッツのマンションタイプの導入の話もあるし、転居の話のある先にも同じ設備が既にあるとのことで、どうやら最後の所も@niftyからお別れできそうだ。

というわけで、長期間放置してきたこのBLOGだが、日常の日記としては「もひとつ日記」「もひとつ日記2.0(笑)」を使っているので、ここには書かないこととする。過去の分は消さないけど。ここの使い道は、もうちょっと別のことを考えている。

どっとはらい。


The Time is Now [愚痴]

ここ数日、会社を休んでいた。

一応、体調不良という言い方は出来る。たしかに身体はだるいし、頭は重いし、出社していた前日も、ろくに仕事が出来ていたもんじゃない。
で、その前2ヶ月ほど、久々にむちゃくちゃ忙しかったというのも事実だ。同じくらい忙しかったのは、たぶん5年ほど前。最初に鬱をやらかしたとき以来だ。も一ついってしまうと、さんざっぱらいそがしかった記憶があるバブル期だって、今よりはまだ早めに終わっていた終電までには帰れていたんだが、ここしばらくの忙しさは、それよりもひどかった。

忙しさの原因の1つの山が、先週末にようやく終わった。そんな状態なので、他の作業は全部後回しにしていた。途中にあった面談の時にもそれは上長には説明していた。
で、別のでかい案件について聞かれた。わからない。確かに、そりゃ言われたとおりにしてなきゃいけないのなら、とっくに本番までのスケジュールを立ててそれを実施する手はずを整えとかなきゃいけないんだが、そんな余裕なんかなかった。もともとのおおざっぱなスケジュールは、3月に異動した前任者が立てたものだが、それは、その前任者がそのまま残留して、しかも、別件の忙しかったことなんかない想定のものだ。
……というのをようやく整理して説明できるようになったのは、実はこの数日休んで、ようやく落ち着いてから。その場ではそんなモノできるわけもない。頭の中はパニックになっていたし、そこに「このスケジュールで本当に大丈夫か」とか強く聞かれても、なんともいいようがない。

今年になって、もう不調になったときに来ればいいと言われていた心療内科に、先週また駆け込んで、薬をもらうようにした。抗うつ薬は2週間くらいたたないと効果が出てこないのだが、抗不安剤の方の効果もあまり芳しいもんじゃなかった。そこにさっきのような状況である。

と、ここまで書いたら、なんかふて腐れて休んでいるように読めるかもしれない。いや、そんな気持ちがどこかにあるのかもしれない。が、どちらかというと、なんか、精根尽き果てたというのが正直なところだ。なんか、疲れた。

もう明け方だから、今日になる。心療内科の診察日になっている。とりあえず、ここ2週間弱の状況を洗いざらい説明してこようと思う。もしかしたら、投薬を増やすだけでなく、何らかの手を打つことになるのかもしれない。
同僚に迷惑をかけることになるのは心苦しいが。

まぁ、なんとかはなるのだろう。


ハブ&スポークとその限界 [雑感]

「JR西日本の事故について、いまさら考えてみる」にコメントしようとして、長くなったので、一番書きたかった部分をちょっとふくらませてみた。

ちなみに、事故は痛ましいと思うし、何とかならんかったのかなとも思うが、元関西人としては、この間までローカル線、関東では南武線や横浜線みたいなところをいきなり山の手線みたいな充実した路線にゃあできんだろう、と思っています。現に、新型ATSも今年には設置予定だったんだし。

さて。
表題について、海外旅行マニアとかならご存じだろうし、ついこの間までのICN,HKG(CLK),KULなどの新空港の開港の度に言われていたから、なんとなく分かっている人も多いと思う。
もとは、アメリカ系航空会社が国内線の運行で始めた編制。その航空会社でほぼ独占できるハブ空港(NWあたりならミネアポリスなど)を用意し、その航空会社のローカル線をほぼ同じ時間にその空港に到着させる、そして、乗り換えを行ったらほぼ同じ時間にハブ空港からローカル空港に出発させる。そうすることで、実際の運行本数以上に1回の乗り換えで済む、見かけ上の各方面路線を造り出すことが出来る。同じ運行方式は国際線でもやっていて、UAやNWは成田をHUB空港として利用している。午後一くらいに第1ターミナルにUAやNWの機体が一杯な光景は有名だ。

で、今回事故の起こった福知山線、というか、東海道線なども含めた「アーバンネットワーク」でやっていたのが、このハブ&スポーク的な編制。とくに、尼崎は、大阪と並んで重要なハブ駅となっている。
新三田、宝塚方面からの列車は尼崎駅で、大阪・京都方面に行く東海道線と、北新地・松井山手方面に行く東西線・片町線とに分かれる。本数はほぼ半々。
明石、神戸方面から来た列車も、同様に東海道線と東西線とに尼崎で分かれる。
そこで、この両者を尼崎で調整してちょうどの乗り入れするようにして、尼崎をハブにして見かけ上の本数を増やすようにしている。

そうでないと、本来の行き先の列車だけにしてしまうと、東西線開通時に本数が半分近くに減ってしまって、サービス向上どころか、一気にJR離れが起きかねなかった。

で、報道で「時間通りに着かないと」というプレッシャーがあったのは、単に尼崎駅だけでの乗り継ぎでなく、近郊路線のダイヤ全般に影響が出かねないというのもあったんじゃないかなと思っています。そこで「それでも安全が第一だから、遅れてもしょうがない」とハラ座るには、若くて能力がない「いいひと」だったんだよなぁ、きっと。

最初に例で挙げた飛行機のハブ&スポークについても、1本遅れたせいで、乗り継ぎのフライト全部にディレイが発生、場合によってはフライトキャンセルや他社への振り替えになることがまれではない。
さらに、アメリカ国内でも、737や717クラスの小型機を大量導入して、目的地の第二空港間の単純往復でコストダウンをはかった新興航空会社に食われている。

せめて、当初の構想通り、福知山線は必ず東西線から片町線に抜けるという風になっていたら、ちょっとは結果は違っていたんだろうか。


スーパー12 [雑感]

ケーブルTVにしてJSportsを普通に見ることが出来るようになって、良かったと思ったことの1つが、このラグビースーパー12をみることができたということ。

詳細については、上のリンクを見てもらうとして。

とにかく、見慣れている日本の試合と段違いなんである。いや、大学選手権あたりと違っているのは当たり前として、トップリーグや日本選手権あたりの試合と比べても、これは同じ競技ですか? というくらいに、スピードから迫力から違う。だから、選手の知識とか、いや、そもそもチーム自体をよくしらないんだが、その状態で見ても、プレイだけで十分楽しめる。
高校の校技がラグビーだったのと、同志社・神戸製鋼の黄金期にはそれなりに中継とか見ていたので(まだトライが4点の頃だけど(笑))、基本的なルールは知っているが、知らなくてもこれなら十分おもしろい。サッカーより格闘技の要素が多くて、アメフトほど複雑化していないから、本能的にみることができる。

2月に始まって5月に終わりというのがもったいない気もするが、まぁ、この辺りはまだサッカーほどプロクラブ運営が定着していない(スーパー12のチーム自体、このリーグ戦のために結成されるチームで、パーマネントなクラブチームではない)というのもあるんだろうなぁ。

熱心なラグビーファンでないので、日本選手権あたりが終わったらまた来年、だったのが、今年はかなり長い間、しかもこれまでと比較にならないレベルで楽しませてもらっている。

しかし、日本でこのレベルの試合を見ようとしたら……(汗)
JFL時代のサッカーファンも、こんな気分だったりしたんだろうなぁ。


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